【ネタバレ・低評価】ゴジラ-1.0が質の悪いギャグみたいな映画でキツかった

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国内外で大ヒットしているゴジラ新作映画「ゴジラ-0.1」をようやく見ることができました。
「VS」シリーズ世代で、旧作も含めほぼ全作を鑑賞したそれなりのゴジラファンとして、かなり楽しみにしていました。
ただ、それだけにどうにもツッコミを入れたくなる箇所が多い映画だったことも事実です。
私が悪い点だと感じたのと同じことを書いている人があまり見当たらなかったので、個人的な視点を記録しておきます。

※ネタバレを含みます。未鑑賞の方は閲覧をお控えいただくことをおすすめします。
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よく言われている批判について

今回の「ゴジラ-1.0」については、ヒット作ということもあって否定的な意見も多数目にします。
その一つとして「浜辺美波が綺麗すぎる」というのがありました。
「汚れた服を着ているだけで髪も肌もツヤツヤ、終戦直後にこんな人がいるわけがない」と。

ただこういうのは、個人的にはさほど気にする話ではないと思っています。
まあ確かに「20代前半の超人気若手女優を汚すのには手加減が入る」的な話はあるのでしょうが、それ以上に映像技術が進歩しすぎて綺麗に映りすぎてしまうのも大きな要因だと思うんですよね。

「昔の映画は若手の人気俳優でも違和感が無く汚かった」という人がいますが、それは昭和の撮影機材/映写機材のクオリティだから画質がガビガビだっただけという話もあります。
もし仮に、20代の松坂慶子が出演する昭和の時代劇を「現代の撮影技術で」作ったら、そりゃもう今作の浜辺美波と同様にツヤツヤの浮きまくりになるでしょう。
実写版の「ゴールデンカムイ」なんかも予告の時点で「衣装が綺麗すぎる」と叩かれていましたが、現代の映像の鮮明度に応じた汚しが必要というのは実写邦画に共通した課題かと思います。

また、本題から逸れるのですが、災害で被災した人や被災地ボランティアをやったことがある人なら分かると思いますが、みんなボロボロで汚れてる状態でも、やっぱり10代後半~20代前半の女の子って汚れの下がなんか明らかにツヤツヤしてるんですよね。
もちろん戦後の瓦礫の山はまた別次元でしょうが、「実は最低限綺麗にしてる」みたいなのを抜きに、あの世代特有の瑞々しさというのは隠しきれない部分もあるのではないかと感じています。

なので、私が言いたい文句はそういうのじゃないんですよ。
別にご都合主義展開でも無茶な理屈が出てきてもかまいません。
私が「ゴジラ-1.0」を観ていてちょくちょく「えぇ…」と違和感を抱いてしまったのは、もっと根本的に描写がおかしい、ギャグにしか見えない部分です。

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駆け足の度が過ぎる

「ゴジラ-1.0」の上映時間は125分。
最近は2時間半に及ぶ映画も多いとはいえ、2時間5分というのは決して短すぎる時間ではありません。

が、どうも全体的にむりやり尺を短くした感があり、駆け足に感じる描写が多いです。
特に気になったのが、冒頭のゴジラ登場シーンです。

ゴジラが出てくるのがめちゃくちゃ早いのは別にいいんです。
ゴジラ見に来てるんだから。
「ゴジラ(1954)」の漁船沈没や「ゴジラ(1984)」の巨大フナムシといったある種の「匂わせ」で緊迫感を煽る手法、あるいはハリウッドのレジェンダリー版「ゴジラ(2014)」における「ゴジラかと思ったらお前誰やねん!ムートーて何やねん!」からの焦らしに焦らしてゴジラ登場!みたいなのも良いですが、すぐにゴジラが登場することそれ自体には何の問題もない。

ただ、今作で大戸島の整備兵に「あ、あれはゴジラだ!島の住民が言ってた!」とその場で言わせるのはあまりに不自然です。
冒頭でいきなりこんな説明台詞を入れられると、さすがに「このあとよっぽど上映時間に余裕がないのか?」と感じてしまいます。

この時点で既にギャグというか、「お前が言うんかい!」というツッコミモードに入ってしまいました。
「深海の魚が浮いてくる日はゴジラが出るんだー!」という台詞はあまりに説明臭すぎます。

こういう未確認生物の名前を違和感なく出すのは、実際にその伝承を知っている原住民か、生態を分析する研究者の役割でしょう。
あるいは、どうせモブキャラに説明させるなら、後の方で「戦時中に大戸島からの報告にあった伝承に倣い、この生物をゴジラと呼称する」程度の言及でも十分だったのではないでしょうか。

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登場人物のキャラ変が唐突

また、登場人物の性格が前触れなく変わるのも、妙な駆け足感を加速します。
中でも気になったのが、主人公敷島(神木隆之介)の隣人である澄子(安藤サクラ)です。

澄子は空襲で自身の子を失い、戦後の焼け野原で悲観にくれていたところ、特攻隊員でありながら生きて戻ってきた敷島に「うちの子は死んでしまった」「あんたの両親もだ」「あんたらがもっとしっかりしてりゃこんなことには」と激しくなじる言葉を投げつけます。
そして、敷島が縁もゆかりもない典子(浜辺美波)と戦災孤児の明子を住まわせ始めると、それについても強い口調で批判します。
しかし、赤ん坊の明子に情が移ったのか、栄養失調を心配してなけなしの白米を重湯用に提供し、不在時の世話を買って出るなど、急にデレます。
いやお前なんやねん!

空襲で死んでしまった我が子、その一方で特攻から逃れてのうのうと生きている元軍人の敷島。
そのうえ、どこの誰だか分からない女と子供まで拾ってきて家族のようなことをしている。
この状況下で、澄子が敷島に「ふざけるな」と憤りを感じるのは当然です。
そのうえで、実の親を失った幼い明子に母性を抱くようになり、心境が変化してかいがいしく面倒を見るのもまた自然な流れです。

でもそれがあまりにも急すぎるんですよ。
憎悪の対象である敷島、その義理の子供的な存在である明子。
そこに向ける感情が徐々に変化する機微の表現が一切なく、いきなり優しくなる。
これ、安藤サクラの演技力でもってるだけで、実際にはダメなウェブ小説の悪役女の「キャー!姉の嫁ぎ先の公爵様、ブサイクだと思ってたのにイケメンだったのね!姉と別れて私と結婚してくださーい!」レベルに描写がペラいと思ってしまいました。

心情が切り替わるならなんかせめてワンアクションあるでしょう。
「幼児がケガしそうになるのを母親としての経験値でとっさにかばってしまう」とか。

主人公の心情変化も唐突

そして、それ以上にキャラクターがブレブレなのが、よりによって主人公の敷島です。
いや、葛藤したり、戦争のトラウマから脱しかけたり、それに失敗してまた過去に捕らわれたりするのは全然いいんです。
ただ、これまた全部性急なうえに、余計な描写が多くてとっ散らかった印象が拭えません。

特攻が怖くて機体の故障を偽るのは分かる。
逃げ延びた先の大戸島でゴジラの襲撃を受けた際、自分の居場所を察知されたくなくて、機銃掃射よりも息をひそめることを優先してしまうのも分かる。
ここでいちいち「撃とうとしたのに手が震えて撃てない」ような描写を挟むのが分からない。

大戸島の唯一の生き残りである橘(青木崇高)から、復員船で押し付けられた犠牲者の形見の写真の束。
「敷島にとっての戦争がまだ終わっていない」ことを示すキーアイテムの1つです。これに苦しめられるのも分かる。
ただそれ遺族に返さないといけないやつじゃないの?最後までお前がずっと持ってるのおかしいでしょ?その説明は?

ゴジラの熱線から自分をかばった典子が死に、またしても自分だけが生き残ってしまった。
残された自分がゴジラの息の根を止めねば。うん、分かるよ。
でも唯一効果がありそうな作戦を提案してる場で「絶対に殺せないなら俺はやらない」みたいな態度なの、お前マジ何なん?

やります、やっぱりやれません。
自分にとっての戦争は終わった、やっぱり終わってませんでした。
クルクルと心情が行き来すること自体が問題なのではなく、その過程が乱雑すぎるのがお粗末なのです。
こんな主人公には感情移入できません。

あまりにも展開の先が読めすぎる

私は普段、「先が読めるので萎えてしまった」という感想を持つタイプではありません。
あまり先読みをせずにストーリーを楽しむタイプなので、「あーこれオチ分かっちゃったな」という気分になることはめったに無いのです。

しかし、「ゴジラ-1.0」、あまりにも先の展開が丸出しすぎます。
「やったか!?」→やってない みたいな台詞が何度も出てくるのも興醒めでしたが、それ以上に、全く読み取ろうと思わなくても丸見えすぎて読めてしまった伏線が終盤の2つ。

①敷島が無事に脱出できることがバカでも分かる

敷島は、表向きはあくまでゴジラを相模沖に誘導する役割として戦闘機「震電」に搭乗しますが、内心では決死の特攻を決意し、爆弾を満載した機体でゴジラの口の中に突っ込むことを計画します。
その整備と改造を行った橘が、出撃前に「大事な説明」をするシーン。
爆弾の安全装置を必ず特攻の直前に解除すること。そして…

このシーンはこのままフェードアウトし、ゴジラを迎え撃つ場面に切り替わるのですが、その流れで追加の説明があったとしたらもう絶対に脱出装置じゃん!
整備中のシーンで橘がコクピットの後ろにドイツ語で何か書いてあるのじーっと見てたもん!
絶対そこに何かあるじゃん!少し前のシーンで「日本の戦闘機には最低限の脱出装置もなかったんだよな…」みたいな台詞もあったし!
たとえ読めない言語でもこんなあからさまに示してあったら「伏線」じゃなくて丸出しの「答え」だよ!!!

②典子が死んでいなかったことがバカでも分かる

そしてもう1つ。

対ゴジラ出撃当日の朝、敷島は置手紙と自身の貯えを残し、まだ小さな明子を澄子に託して一人家を出ます。
不安の中、明子とともに敷島の家で過ごす澄子。
そこへ電報が届き、その内容に驚く澄子。
そんなもん「典子が生きていた」以外ないやろ!!!!!

背びれガシャン!ガシャン!

最初にも書きましたが、私はご都合主義でも無茶な理屈でも構いません。
だって怪獣映画だもの。

ただ、そこに「整合性」がなくとも、最低限の「納得感」があってほしいとは思っています。
現実ではありえないフィクションだからこそ、細部を「それならギリありえそう」な範囲に収めてほしいのです。

その観点からすると、今作ゴジラの放射熱線を吐く際の背びれのギミックは余計です。
あの、背びれが一枚一枚飛び出しながら発光する様子自体はなるほど確かに面白いですが、あまりに生物感がありません。

ガイガンの腹に回転ノコギリがあるのは宇宙サイボーグ怪獣だからいいんです。
平成ガメラの腹部がバカッと開いてウルティメイト・プラズマを発射するのも、ガメラが実は「古代文明が残した地球を守る生体兵器」だから問題ないんです。
でも「ゴジラ-1.0」のゴジラはそういうのじゃないでしょう。あんな「ガシャン!ガシャン!」みたいなのじゃなくていいじゃん。

まあこれは個人的な好みの問題ですね。

なぜそんなギャグマンガみたいな表現をするのか

私が一番残念に感じたのが、スベってるギャグにしか見えないシーンが定期的に挿入されることです。

例えば、ゴジラが銀座を襲撃し、放射熱線で一帯が焦土と化す場面。
周囲の様子から典子の死亡はほぼ確実、黒い雨が降り注ぐ中で絶叫する敷島。
日本映画でこそ、といえる原爆の表現です。本作のなかでも象徴的な一コマと言えるでしょう。

でも、ここにゴジラがキノコ雲を悠然と眺めてるカットが入るんですよね。
この画面のコントラストに全く絶望感がなくて、煙をバックにボーッと突っ立ってる程度のシーンにしか見えない。
いったいどういう意図があって入れたのか意味が分かりませんでした。
ゴジラが「俺なんかやっちゃいました?」とか思ってるようにしか見えない。とにかく軽い。

また、私が劇中でも最低だと思ったシーンが、海神作戦の準備の中で、「今度こそ自分たちの手で日本を守るのだ」と奮起する面々を見て秋津(佐々木蔵之介)が「いい顔してやがるぜ」と言う場面です。
ここの描写、本当に野球漫画で甲子園出場が決まったのか、ラブコメで文化祭の準備してるのかってぐらいみんな「にっこー!」「たーのしいー!」みたいな感じなんですよね。
「敗戦国民が今度こそ苦難に打ち勝つ」的な表現にしてもあまりに不自然すぎて、「それどういうギャグなの?」となりました。これも意味が分からない。

そしてラストの対ゴジラ戦がとにかく酷い。
今にも放射熱線を吐き出そうとするゴジラを、ギリギリのところで海底深く1500mまで沈めることに成功する緊迫感溢れるシーンです。
なのに、ゴジラが深海に到達した瞬間にゴジラの体の発光はピタッ!と止まり、本当に電球が切れたかのようにプツッ!と消えます。
それギャグキャラが氷魔法かけられてパキン!と固まるけど100%無傷なやつじゃん。

さらに、水面に浮上してきたゴジラが再度放射熱線の発射動作に入り、もはや万事休すというクライマックス。
溜めすぎ。
明らかに「もうゴジラが熱線を吐くぞ!」というタイミングを過ぎているのに、敷島は呑気に「ブーンwwww」とゆっくり旋回しているようにしか見えない。とにかくスピード感覚がおかしい。

そしてまたしても、ゴジラの口中に突っ込んだ飛行機がピタッ!
からの一瞬の間をおいてドカーン!
これはもう「崖なのに気付かずに空中を歩いていたけどふと足元に地面が無いことに気付いてヒューン!」という昭和ギャグのテンポなんだよ。

本当に何なの。もう嫌だ。

ラストシーンについて

とまあ色々批判めいたことを書きましたが、とはいえゴジラファン的にはおおむね満足度の高い映画鑑賞でした。

賛否あるラストシーンについても、過去のゴジラシリーズを踏まえた落としどころとしてはああいう感じかな、と思います。
典子は普通の人間なら確実に絶命しているあの状況でありながら、ゴジラによる放射能汚染とともに、旧シリーズで言うところのゴジラ細胞のようなものの影響を受け、超常的な回復力により生還。同時に何かしらの消せない痕跡も残ってしまった…と捉えるのが自然でしょう。
この段階で続編の有無を考えるのも野暮というものです。

でもあの典子の首元でこれ見よがしに黒いアザみたいなのがうごうごしてるのと、大ラストで海底でゴジラが破片からうにょうにょ復活しようとしてるの、あれ両方ともやるのちょっとくどくないですか?
特に典子の首のアザは「ここまで分かりやすくしないとバカには伝わらないのか?いや、小学生とかにも分かるようにしてるのかな」と思ったぐらいです。(後にSNSで「2回目見て初めて気付いた!」と言ってる人がいて絶望しました)

やっぱなんか古いギャグを見せられてるような映画だったなあ。

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