大ヒットして実写映画化もされたギャグ漫画「デトロイト・メタル・シティ」。
連載期間は2005年から2010年と、既に15年前の漫画ですし、昨今の漫画家と比べてしまうと画力が気になることも事実ですが、改めて読み返すと主人公・根岸のクズっぷりには時代を超えた何かを感じずにはいられません。
定期的にTwitter等でも話題になる根岸のヤバさについて、特に印象的な描写を中心に、自分用のメモを兼ねて考察をまとめておこうと思います。
作品に対する誤解
まず大前提として、冒頭にも書きましたが、主人公の根岸崇一はクズです。
本気で引くレベルのクズです。
ここで勘違いしてはいけないのが、「ヨハネ・クラウザーⅡ世こと根岸」とかではない根岸本人が常軌を逸したクズであるという点です。
デトロイト・メタル・シティはヒット当時から「本当は陰キャのオタクなのに、意に沿わない言動を強要されている主人公の悲哀」のような観点で語られがちでしたが、実はそこは本筋ではありません。
そういった描写もあるとはいえ、基本的に根岸は素の人間性が完全に異常者であり、DMCのフロントマンになるべくしてなった人間です。
「本当は弱いのに強運のせいで番長になってしまうヤンキー漫画の主人公」みたいな話とはちょっと違うのです。
恵まれた生育環境からは考えられない異常性
根岸は大分県大野郡犬飼町の出身であり、高校卒業までを地元で過ごしました。
実家は農家で、(弟はのちにDMCのファンと化すものの)ごく一般的な家族に囲まれ、平和な環境で育ったものと思われます。
この前提条件こそが問題となります。
よくある二重人格のキャラクターであれば、「成長過程で抑圧されたことで第二の人格が生まれた」的な過去が設定されがちです。
しかし、根岸にはいじめや虐待などの暗いエピソードが全くありません。
73話でのクラウザーⅠ世との対決では根岸の恨みの源泉たる黒い過去が回想されるのですが、その「黒い過去」の中身はなんと「メガネの試着でのび太くん呼ばわりされた」「ポテトサラダを頼んだのにゴボウサラダが出てきた」「血液型をA型だと決めつけられた」というだけであり、根岸の本質はその程度の出来事を思い出すだけで膨大な憎悪が湧き出すという異常性なのです。
デスレコーズ社長の評価
DMCの所属レーベルであるデスレコーズの女性社長は、作中でも際立って常識の通じない人物として描かれています。
この社長は、DMCをやめようとする根岸を酷い目に遭わせる役回りである一方で、根岸の音楽的才能を高く評価しています。
そして何より、根岸のクズっぷりに着目した人物でもあります。
その象徴的なシーンは多くありますが、ひときわ印象に残るのが65話、クラウザーⅠ世との比較で語られた「恨みのある者に対し暴れる奴は危険 だが本当に危ないヤツってのは なんの恨みもない相手に暴れまくれる奴だ!!」という台詞です。
なんせ根岸は、なんの恨みもない相手など序の口、自分を尊敬して仲良くしてくれる数少ない後輩にさえいくらでも暴力をふるうことができる才能の持ち主なのです。
社長がクラウザーⅠ世について語るシーンでは、2人のクラウザーの対比によって根岸の異常性を強調する描写が多く、57話では「ヤツ(※クラウザーⅠ世)がクソゴミ野郎なら お前(※根岸)はクソゴミ以下のゲロカス野郎」という台詞もあります。
そしてポイントとなるのが、その際に「きっと親も最悪に汚えゲロカスみてぇなんだろうな」と付け加えている点です。
ここで明らかになる通り、社長は根岸のことを最悪な両親に劣悪な環境で育てられたと誤認しているわけです。
実際にはまともな生育環境だったにもかかわらず、あの社長にすら一切そう感じさせないというのは、根岸がどんな環境で育とうと変わりようのない、レベル100の暴虐性を最初から備えていた本物の狂人であることの証左と言えるでしょう。
相川さん・アサトさんが登場するエピソード
根岸の狂気が特に発揮されるのが、恋焦がれる相手である相川さん関連のエピソードです。
大学のゼミで一緒だった相川さんはオシャレ雑誌「アモーレ・アムール」の編集者で、根岸が作るポップスの数少ない理解者でもあります。
しかし、根岸は5話で酔った状態でカラオケに行った際、DMCの曲を熱唱しながら、心配して声をかけてくれた相川さんの顔面にツバを吐きかけます。
考えてもみてください。いくら泥酔して、(隠しているけど実は)自分の曲がカラオケに入っていてテンションが上がったとしても、まともな環境で育った人間は好きな女性の顔にツバを吐きはしません。
なぜそんなことができるのか?といえば持って生まれた本性としか考えられません。
また、よく話題に上る12話、代官山で相川さんと一緒にいる時に、デザイナーのアサトヒデタカに遭遇した際のエピソードも重要です。
アサトさんは相川さんを狙っている様子があり、若干いけ好かない描写はあるものの、根岸のファッションを褒める等、基本的には好意的な人物として描かれています。
根岸が音楽をやっていると聞いた彼は、「失敗してもいんだよ!!」(※原文ママ)とお店のライブスペースで演奏するよう提案します。
ところが、実際に歌を披露した根岸はアサトさんから「お遊戯的な事なら外でやってくんない?」と言われてしまいます。
これ、アサトさんが悪者であるように読めるのですが、ネット上の意見でなるほどと思ったのが、「根岸の音楽は、真面目にポップスが好きな人にとって極めて不快な作風だと思われる」という点です。
実際、本人は真剣だとしても、あんなナヨナヨクネクネしながら歌う奴がいたら誰でも「ふざけてるのか?」と思うでしょう。
そもそも、作中で根岸のポップスを評価しているのは相川さんと後輩の佐治くんだけで、それ以外は誰もが根岸崇一としての音楽を酷評しています(既に人気ミュージシャンとなった佐治くんとデュオで歌っている時でさえ!)。
他方、メタルミュージシャンでもある根岸のギターテクニックは確実にハイレベルなはずで、根岸状態のときも歌唱力や演奏力そのものは批判されていません。
となれば、「根岸の歌はポップスファンに対しては『異常に上手い演奏力をポップスdisに全振りしている』と感じさせてしまっている可能性がある」という考察には納得感があります。
なお16話では、根岸の中ではアサトさんから「おいゴボウ お遊戯事なら外でやれよ」と言われたことになっており、さらに相川さんについても「昨日 電話で俺にあんなに甘えてた」(※甘えてない)、「オレがあんなに『行くな』って止めたのに…」(※止めてない)など、自分に都合のいいように自身の記憶を改竄しています。
その一方で、メタルフェス「サタニック・エンペラー」で自分のポップスを馬鹿にされた42話では、根岸はアサトさんから「キミの音楽に出会うまでポップスなんてお遊戯事だと思ってたよ!!」と、さらに相川さんから「根岸くんも根岸くんの音楽も大好きだよ」と言われたかのように回想しています。頭がヤバすぎる。
(※根岸が自己正当化のためのこじつけをするシーンは数多くありますが、この42話における論理飛躍の無茶苦茶さは全編通して屈指のレベルで、続く43話の「音楽は人を殺れる!!」まで含めて必見です。)
根岸自身の本当に一番ヤバいシーン
ちょっと地味ではありますが、クラウザーⅡ世の姿ではない根岸本人のヤバさが遺憾なく発揮されているのが28話です。
DMCの面々は、ライブ後の打ち上げをしていた居酒屋でファンが暴れているのに遭遇してしまい、ベーシストのアレキサンダー・ジャギこと和田くんがジャギ様の姿でファンを鎮める流れになります。
和田くんはチャラい性格ではあるものの、バンド活動には一応真剣に取り組んでおり、ベースの練習も欠かしません。
その一方で、観客を盛り上げるパフォーマンスは火吹きしかできないため、根岸のステージパフォーマンスを高く評価しています。
この回でも、和田くんはジャギ様としてファンの前に登場したものの、興奮するファンを上手く導くことができません。
その状況に業を煮やした根岸は、なんと「ホラ来い コレで最高のパフォーマンスが出来るだろ!!」と店内でテーブルに火をつけます。
そして、焦って火を消してしまった和田くんに放った言葉が「消してどうすんだよ和田!!こんな店燃やしちまえばいいだろ!!」です。
繰り返しますが、この時の根岸は一切クラウザーさんモードに入っておらず、完全に素の根岸崇一でこれです。
音楽描写のマイナスを軽く飛び越える終盤の展開
私自身デスメタルを愛聴しており、実際にデスメタルバンドをやっていたこともあります。
改めて解説するまでもなく、「DMCにおけるデスメタルの描写が現実のそれとはかけ離れている」という点は、連載当時からメタルファンの批判を受けていました。
もちろん私も、その点についての文句は色々あります。
しかし、DMCがライバルのデスメタルバンドを蹴散らすシーンのうちのいくつかは、今改めて読んでも鳥肌ものの高揚感です。
その中でも特筆すべきは、やはり最終巻である10巻の対ゴッド編です。
ポップミュージシャンとしての音楽修行でフランスに渡った根岸のもとに、和田くんから「社長が倒れたうえ、メタル界はゴッドに蹂躙されている」という手紙が届きます。
それを受けた根岸はクラウザーⅡ世として復活。
フランスで暴れ回った末に日本に帰還します。
そこから(そりゃギャグマンガなのでギャグ描写を挟みつつではありますが)、伝説のギターを破壊して初期のギターに持ち替えからの、ライブ会場を訪れた社長に「長かったな いま見せてやる これがオレの答えだ 死にぞこないのクソババァ 冥途のみやげだ オレが オレこそが オマエの見たかった伝説 ヨハネクラウザーⅡ世だ」(111話)、そして「この興奮 爆音と熱気 デスメタル これがオレの音楽だ」(112話)に至る流れは傑作としか言いようがありません。
むしろメタル愛好家にこそ読んでいただきたいと思います。
結局根岸は何がヤバいのか
まとめると、根岸のヤバさは「クラウザーさんというキャラクターを演じているわけでもなんでもない」という点に集約されます。
怒りが頂点に達したときにクラウザーさんの人格が出てくるわけでもなく、下手すれば根岸自身が怒りを表出させるためにヨハネ・クラウザーⅡ世というガワを利用しているとさえ思えます。
ネット上では、「本来なりたかった自分との落差に絶望しながらも、望んだものとは全く異なるダークヒーローとして熱狂的な崇拝を受け、最終的にそれを受け入れる」という根岸の姿を2019年映画版のジョーカーになぞらえて語る意見がありますが、それすら納得のヤバさです。
根岸は人を殺してこそいませんが、ブチギレる沸点が異常に低い点などを考えると、比較対象としての根岸のヤバさはある意味むしろ際立つとさえ言えます。
なんせ、ジョーカーことアーサー・フレックでさえ自分に優しくしてくれた同僚の小男は見逃したのに、根岸は相川さんにも佐治くんにもやりたい放題ですからね。

3話で登場したシングル「グロテスク」の帯には、このような文言があります。
オレは音楽に感謝している
ミュージシャンにならなければ
猟奇的殺人者になっていたから…
これ、少々ありがちな表現ではありますが、完全にクラウザーさんじゃなくて根岸のことなんですよね。
ぜひ全編通して読んでいただきたいですが、途中まで読んでやめてしまってラストを知らない方には、最終の10巻だけでも読んでみていただければと思います。
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