【考察】映画「ジョーカー」を妄想オチと呼ぶな!

R指定映画としては過去最大のヒットを記録し、日本国内でも話題の映画「ジョーカー」。
私も少し前に映画館で鑑賞してきたのですが、ネットで感想を調べていると「ジョーカーの結末を考察!実は全部妄想?ラストシーンの意味は?」みたいな中身の無いブログの多さにムカついてきたので、遅ればせながら「ジョーカー」というキャラクターの特異性に焦点を当て、この映画を自分なりに考察してみようと思います。
【※ネタバレを含みます。未鑑賞の方は閲覧をお控えいただくことをおすすめします。】

まず最初に書いておきますが、映画の評価自体は避けます。

一部の否定的意見にあるように、失うものが何もない「無敵の人」と呼ばれるような人たち、あるいは(私を含む)一歩間違えればそこに転がり落ちていたであろう人たちにとって、この映画がある種の悪影響を与えかねない作品であることは確かです。
私自身、終盤で主人公のアーサー・フレックがジョーカーと化していく過程では、ずっと号泣しながらガッツポーズでした。

しかし、今回はそのストーリーへの賛否は無視し、あくまでこの映画の構造について考えていきます。
2回目以降に鑑賞する方の参考にもなればと思います。

この映画における大きなカギが「主人公アーサーの妄想」です。
アパートの同階に住むシングルマザー、ソフィーとの恋愛関係が全て妄想だったと判明するシーンは、本作のハイライトのひとつでしょう。
で、この部分に関連して「どこまでがジョーカーの妄想なの?」という議論が行われているわけですが、以下、私の考えを書いていきます。

まず大前提として、「ジョーカー」劇中において、私は現実の場面はラストの「白い部屋でジョーカーと女性医師が対峙しているシーン以降の数分間」だけだと考えています。
というのも、この映画は基本的に現実に即した世界観であるにもかかわらず、現実的ではない描写がかなり多いのです。

個人的に大きな違和感があったのは、アーサーが大富豪のトーマス・ウェインに、ウェイン・ホール内のトイレで接触するシーン。
アーサーは、母がかつて仕えていたトーマスを自分の父親だと思い込み、会って話をするためにウェイン・ホールに潜入します。
しかし、このシーンには変に不自然な点が多いのです。

・そもそもあの建物にどうやって入った?
・着ているスタッフの制服はどこで手に入れた?
・トーマスと対峙したあのトイレの作り物のような白さは何だ?

これだけでなく、妙に現実感のないシーン、現実と妄想の境界があいまいなシーンは他にもあります。
終盤にジョーカーを護送するパトカーに救急車が突っ込んだあとの流れなんか、ただの人間であるアーサーが元気に立ち上がり、群衆の熱狂を浴びながら踊るのは、映画の世界観に比してあまりに非現実的すぎないでしょうか?

さらに、劇中で時計が映るときは、全てのシーンで同じ時刻という点や、アーサーの拳銃は一般的なリボルバーなら銃弾は6発装填のところ、地下鉄での初めての凶行シーンでは7発撃っているというのも、「ラストシーンを除く、約2時間の劇中ほぼ全てのシーンがジョーカーの想像の中の出来事である」ということの裏付けになるでしょう。
で、これらの情報をもって、「ジョーカー」をアーサー・フレックの妄想オチ映画と言っている人がいるわけです。

ですが、この映画を「2時間の妄想」と表現することに対しては大いに抗議したい。
これは妄想ではなく、ジョーカーが意図的に考え出した嘘のストーリー、彼の言葉を借りるなら「ジョーク」であると。

アメコミには「オリジン」という概念があります。
これは簡単に言うと、「登場するヒーローやヴィラン(悪役)の出自」を指す言葉です。

例えばバットマンは、「目の前で両親の命を奪われたブルース・ウェインが、私財を投じて犯罪を撲滅をするヒーローとなった」。
スパイダーマンであれば、「クモに噛まれてスーパーパワーを身に付けたピーター・パーカーが、見逃した強盗に伯父のベン・パーカーを殺害されたことで『大いなる力には大いなる責任が伴う』ということを自覚し、ヒーローとなった」というのがオリジンです。

原作の長期連載や映画のリブートによってストーリーが微妙に変わることもありますが、オリジンは大筋では一貫している場合が多いです。
もちろんジョーカーにも、「逃走中の犯罪者が工場で化学薬品の溶液に落下した結果、皮膚は真っ白に、髪の毛は緑色に、そして口は裂けて笑っているような顔になり発狂、ジョーカーとなった」という有名なオリジンがあります。

しかし、このジョーカーのオリジンには多くのバリエーションが存在します。
有名なのは「強盗『レッドフード』として盗みに入った先でバットマンに追い詰められ、溶液に落下した」というものですが、その前後のストーリーには様々なパターンがあり、「ジョーカーが元々どのような人間だったのか」は全く明確ではありません。
さらに、1989年の映画「バットマン」では、このオリジンの大枠を踏襲しつつ、「ジョーカーの元々の姿はマフィアのジャック・ネイピアであり、実はブルース・ウェインの両親を殺害した張本人だった」という大幅なアレンジが加えられました。

そして、この「不確定なオリジン」を逆手に取り、ジョーカーを他のアメコミヒーローやヴィランと一線を画した存在にしたと言える作品こそが2008年の映画「ダークナイト」でしょう。
「ダークナイト」でヒース・レジャーが演じたジョーカーには、その正体不明さを最大限に生かす演出が与えられました。
なんせこのジョーカー、過去の作品とは異なり、指紋やDNAの情報がデータベースに記録されていない、前歴が完全に謎の人物として描かれているのです。

「ダークナイト」のジョーカーの設定では、化学薬品の溶液に落ちた過去はなく、白い顔はメイクです。
その一方、口は本当に裂けており、笑うような形の傷になっています。

ところが、なぜ口が裂けたのか?という経緯はジョーカー本人が説明するたびにコロコロ変わります。
あるときは「小さいころに酒乱の父親に切り裂かれた」。
あるときは「顔に傷を負った妻に笑ってほしくて自分で切り裂いた」。

このいずれかが事実なのか、あるいは両方とも嘘なのか?
相手が一番ビビるような嘘をその場の思い付きで喋っているようにも思えますし、もしかするとジョーカーは狂ってしまっているのでなぜ自分の口が裂けているか覚えていないのでは?という疑念すらわいてきます。

そして話は戻って今作、2019年の「ジョーカー」。
先に紹介したオリジンから完全に独立した今回の主人公、アーサー・フレックには、感情が高ぶると笑いが止められなくなるという疾患が設定されました。

明らかに精神面に問題を抱えた主人公、その彼が語る物語はどこまで信用していいのか分からない。いわゆる「信頼できない語り手」
既に多くの指摘がある通り、本作「ジョーカー」劇中において、ジョーカーのストーリーテラーとしての信頼性は従来よりもさらに下がっているのです。
それを踏まえて導かれるのが、「ラストシーン以外は全てジョーカーの空想」という解釈です。

ラストシーンでジョーカーが笑いながら語る「面白いジョークを思いついた」、「お前には理解できないから教えない」。
そのジョークこそが、ジョーカーが対話の相手を煙に巻くため、あるいは交渉や脅迫を楽しむために創作したストーリー。
「実は俺にはこんな可哀想な過去があったんだ、辛かったよ…なんてな!楽しんでくれたか?俺が考えた最高の『ジョーカー誕生の秘密』だ!」

これを「妄想」と呼ぶのは不適切でしょう。
本人が語る通りこれは2時間の壮大な「ジョーク」。
前述の「ソフィーとの関係が妄想だった」ということ自体も、ジョーカーの考えた「ジョーク」のストーリーの一部であり、二重構造のフィクションと言えるのです。

そして、私が考えるジョーカーの思考はこうです。

そもそも「アーサー・フレック」という名前自体が「ジョーク」内での架空の設定、ジョーカーの本名はそんな名前ではない。
発作的に笑いが止まらなくなる病気だったというのももちろん創作、「どうだ、俺は可哀想だろう?」と笑うジョーカー。
「俺がジョーカーとして群衆の拍手喝采を浴びているクライマックスの陰で、トーマス・ウェイン夫妻がピエロマスクの暴徒に殺されてたとしたらどうだ?最高に面白いだろう?」

そして、一部でなされている「ジョーカーの孤高性が失われた」という批判についても、本作ラストシーンのあの「人を小馬鹿にしたようなジョーカー」がこう答えるのではないでしょうか。
「この映画を観て『精神を病んで極限の不幸に見舞われれば自分だってジョーカーになって社会を動かしうる』とでも思ったのか?そんな訳がないだろう。俺のジョークを真に受けて何を言ってるんだ?」
やはりジョーカーは唯一無二、手の届かない孤高の存在なのです。

…とまあ長々と書きましたが、もちろん今回書いた内容も、ただ私という一個人が考えた解釈にすぎません。
これだけ書いておきながら、監督の意図からは完全に外れているかもしれませんしね。
この映画はまさに「ジョーカー(ジョークを言う男)にもてあそばれることを楽しむ映画」なのでしょう。

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