発達障害の過去話・中学校編 中学受験で手にした居場所

小学生時代から環境を変えるべく挑戦した中学入試に無事合格した私は、自宅から電車で40分ほどのところにある国立の中高一貫校に入学しました。
進学校だけあって荒れた雰囲気もなく、入学当初は「ここでなら平和に生きていけそうだ」などと考えていました。
しかし、そんな私を待っていたのは、大きな挫折でした。

小学生のときは学校の授業は全部理解できた私でしたが、中学に入った途端、授業に全くついていけなくなってしまいました。
まあ、偏差値70超えの地域トップクラス校ですから、「地元の小学校で一番頭が良かった子」ばかりが集まる中で上位に食い込めないのは仕方ないかもしれません。
ところがそうではなく、それ以前の問題として教科書の冒頭から理解できないことがほとんどで、私は入学早々に完全な落ちこぼれになってしまったのです。

たまにテストで手応えを感じることがあっても、周囲のレベルが高すぎて校内偏差はいつも平均以下。
小学校の勉強を余裕でこなしていた私にとって、これはかなりショックでした。

もちろん、授業についていけず、学業に本腰が入らなくなった生徒は私だけではありません。
しかし、私は小学生の頃から変わらず社交性が低いままで、そのうえ小学校や塾が同じだったメンバーは全員違うクラスになっていました。
ASD特有の社会性の無さもあってか、初対面の人と適切な距離感を測るのが極端に苦手だった私は完全に孤立してしまい、いったいどうしたらいいのか分からないまま、いつも一人で塞ぎ込んでいました。

ところが、思いがけない形で新しい居場所が見つかります。
そのきっかけは音楽でした。

私は元々、流行りの音楽に全く関心がなかったのですが、解散直前だったX JAPANをテレビで見て衝撃を受け、中学生になってからは激しい音楽を聴き漁っていました。
また、父は名盤と呼ばれるCDをジャンルを問わず山ほど持っていましたし、3歳上の兄は邦楽洋楽を問わず最新のヒットチャートに詳しかったため、まだインターネットも発達していない時代でしたが、音楽探求に困ることはありませんでした。
そんな私がいつもMDで聴いている音楽に興味を持った同級生が声をかけてくれるようになり、それがきっかけで音楽好きの友人ができました。

そして、中学2年生のとき、貯めていた小遣いで中古のエレキベースを購入した私は、友人たちとバンドを始めました。
学業面での劣等感は常にありましたが、バンド仲間ができたおかげで学校に通うことが苦痛ではなくなり、なんとか中学時代をやり過ごすことができたのです。
私にとって、人生で初めて学校を「楽しい」と感じたのがこの時期でした。

思い返せば、小学生の時は趣味の話を共有できる友人はいなかったですし、公立中学校に進学していたらこうはなっていなかったかもしれません。
私が通っていたこの中高一貫校は、生徒の自主性を重んじる校風で、「チャイムが一切鳴らないので各自が常に時計を見て行動する」という変わった学校でした。
そのためか、適度に「自分は自分、人は人」という気質の生徒が多く、気に入らない生徒をのけ者にしたり、逆に過剰に暑苦しい仲間意識で固まったり、ということがあまりなかったのです。

私は、このような環境だったからこそ不登校になることなく中学時代を過ごせたのではないかと思っています。
小学校や中学校を受験することについて、「私立の学校はいい家の子しかいない、公立の方が生徒の多様性があって鍛えられる」と批判的に言う人は多いと思います。
確かに公立学校の方が、障害の有無だけでなく、考え方、生活環境、将来の進路等、幅広く多様な人生を歩む生徒がいるでしょうが、そこがマイノリティを受け容れてくれる環境か?というのはまた別の話です。

「紛れ込んだ異物を排除する・もしくは強引に同化させるコミュニティ」と、「紛れ込んだ異物を異物のまま放置してくれるコミュニティ」であれば、「多様性」という言葉が当てはまるのは圧倒的に後者です。
実際には多様な生徒がいるはずの公立学校のほうが、どちらかというと異物の存在を許さない空気が強いのではないかと思います。
もし私が思春期を公立中学校で過ごしていたら、おそらく悪い結果が待っていたでしょう。

教育方針が親の数だけあるのは分かります。
しかし、人間には向き不向きがあります。
公立学校が合う子供がいるのと同じく、逆に公立中学が全く合わない子供も一定数存在しますし、そんな子が中学受験を希望したらなるべくその希望をかなえてあげてほしい、と私は思うのです。

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発達障害の過去話・高校編 進路選択の失敗

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カテゴリー:私の幼少期~学生時代の話

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