2017年の年末から、「大人の発達障害」の検査のために専門病院であるK診療所への通院を開始した私でしたが、そこでMSPA事前アンケートというものを渡されました。
小さい頃の得意・不得意や、発達の様子について保護者に記入してもらうものです。
そこで私は、年末年始で実家に帰省した際、母親に渡して記入を頼んでおいたのですが、後日母から郵送で送られてきたそのアンケート用紙には私の主観とは全く違うことが書いてありました。
自分で言うのは恥ずかしいですが、母にとって私は自慢の息子だったようです。
「中学から近隣トップクラスの進学校、大学は国立一本で現役合格、非行に走ったりすることもなく、育てるのに苦労したことは一度もない」と。
そのためか、母が回答した内容には私の幼少期から学生時代にかけての苦労が何一つ反映されていませんでした。
例えば、私は小さい頃、かなり独特の喋り方をしていました。
息継ぎなし、句読点も無視するかのような、舌が追い付かないスピードの超早口。
それだけでなく、同じ内容を2回繰り返して話すことも頻繁にあり、おそらく「相手とコミュニケーションをとるために喋る」という意識が薄かったのだろうと思います。
当然、同級生からはいつも「何?」と聞き返されていたので、さすがにまずいと考え、私は兄や友人の協力のもと「人に聞き取ってもらえるように喋る練習」を繰り返しました。
矯正には何年もかかり、中学生になっても必死に意識しないとゆっくりは喋れませんでしたし、今でも気を抜くと一気に早口になってしまいます。
また、「タメ口と敬語の使い分けが分からない」、「会話中に集中力が切れてその場から離れる」、「話している相手がいるのに、周りの会話が同じ音量で耳に入ってくるので相手の喋っている内容が分からなくなる」ということも多くありました。
しかし、母は私のことを「幼少期から言葉や対人コミュニケーションの面では一切何の問題もなかった」と認識していました。
その他の回答も、私の実体験とはあまりにかけ離れていました。
「勉強はそこそこできるけどそれ以外はボロボロ、必死の努力でそれなりの対人スキルをようやく身につけた」という私の特性を、母は上澄みの部分しか見ていなかったのです。
母は病院の小児リハビリで長く働いており、軽度から重度まで多くの障害児と日常的に接していたので、障害に対して理解がない人では決してありません。
むしろ、高齢といえる世代の中ではかなり理解があるほうです。
しかし、私は人に相談するのが極端に苦手だったうえ、親に相談したところで何も解決しないと認識していたため、自身の困りごとを打ち明けることはなかなかできませんでした。
結果として、母にとって私は表面的には「手がかからない子供」だったのでしょう。
母の目には、私の悩みなど「子供が自分自身で解決できる程度のもの」としか映っていなかったのです。
自己評価の低い私をいつも褒めてくれた母には感謝の気持ちもあります。
ただ、発達障害など知られていない時代だったとはいえ、私の苦しみを少しだけでも理解していてほしかった。せめて自分の母親には。
母が私の内面を何も見ていなかったと理解したこのとき、私の中に小さな不信感が芽生えました。
そしてこのあと、ある出来事がきっかけで私は決定的に母に対する信頼を捨て去ることになります。
後日追記:その話↓

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