発達障害の過去話・社会人編① 初めての心療内科、そして休職

大学を5年かけてどうにか卒業した私の就職先は、事業会社ではなく、いわゆる職能団体でした。
会社員ではなく、団体職員というやつです。
世間的なイメージとは異なり、全く緩い職場ではなく、多忙で残業もかなりあったのですが、そのぶん給料は悪くありませんでした。

職能団体というのは、特定の資格試験に合格した有資格者が加入する団体のことです。
医師会とか、司法書士会とか、不動産鑑定士協会とか色々ありますが、仮に「〇〇士協会」としておきましょう。
就職1年目は、〇〇士が集まる会議の運営や、市民向け相談会の準備、そしてシンポジウムの運営業務等を担当し、忙しいながらも頑張っていました。

しかし、2年目になって任される業務が増え、新人〇〇士の研修を担当するようになって以降、だんだん仕事が嫌になっていきました。
研修運営のトップが大御所〇〇士の先生で、気を使って疲れるというのもストレスでしたが、それ以上に「関係者が多すぎて誰が誰だか分からない」というのが大きな苦痛でした。
というのも、私は人の顔と名前を一致させるのが非常に苦手で、学生時代の狭い人間関係ならまだしも、社会人のレベルになると全く覚えられなかったのです。

この頃から、私の仕事でのパフォーマンスは大幅に低下し始めます。
まず、電話応対でメモが取れなくなりました。

聞き取りながら書いていたはずの相手の名前が間違っていたり、何度も聞き直したり。
自分の字が汚すぎて、さっき書いたメモが自分で読めないことも増えました。
元々電話しながらメモを取るのは得意ではなかったものの、ここまで酷くはありませんでした。

また、文書作成が仕事の多くを占めるにもかかわらず、誤字脱字が増え、知っていた漢字を忘れたり、知っているはずの言葉の意味を間違えて使ったり。
さらに、重要な連絡を完全に忘れるというミスも複数回やらかしました。

こうして日々失敗を繰り返し続けた私は、だんだん自分で自分が嫌になっていきました。
もともと低かった自己肯定感はさらに下がり、自分は世界で一番無能な人間だと思うようになりました。

徐々に食欲も思考力も低下し、昼休みはいつもトイレの個室でボーっとしているだけで終わってしまうので、食事はほとんどとっていませんでした。
仕事は欠勤が多くなり、出勤してもミスばかり。
自分が何をしなければいけないのかさえ分からないという酷い状態でした。

さらに、ストレスで自分の髪の毛を抜く癖が悪化し、仕事中でもお構いなしに右耳周辺の髪の毛をブチブチむしるようになってしまいます。
いわゆる抜毛症です。
最終的に、頭の右半分が完全に禿げ上がるという、かなり異様な見た目になってしまいました。

それでも私は「鬱で休職なんてありえない、そんなことをしたらクビになってしまう」と思い込み、フラフラになりながら働き続けました。
側頭部が禿げているのも、「アトピーが酷くて…」というかなり無理のある言い訳をしていました。

ですが、見かねた上司からとうとう「休職して自宅療養するように」と言われてしまい、25歳の秋ごろ、私は初めて心療内科を受診しました。
特に下調べもせず、通勤経路にあったM医院という心療内科に飛び込みで行ったのですが、予約なしで受診でき、幸運にもしっかり話を聞いてくれる病院だった、だいぶ気持ちが楽になりました。
そこで処方された薬が合ったのか、徐々に夜しっかり眠る生活を取り戻し、少しずつですが食欲も回復しました。

しかし、仕事にいけるほど体調が良くなるにはかなり時間がかかり、結局半年間休職してしまいました。
また、髪の毛が完全に元の見た目に戻るには一年以上かかりましたし、復職後も何度か断続的に休んでしまいました。
今考えれば、苦手な対人仕事に対する適応障害のような側面もあったのかもしれませんが、当時はただただ「よく分からないけど仕事が辛い」という状態でした。

その後、私は職場の配慮により総務課に異動になり、文書管理や備品管理を中心とした業務に変更になりました。
この業務内容が合っていたのか、私は総務課で大きな不調もなく3年ほど働き続けることになります。
この時期に、休職中も支えてくれた大学時代からの交際相手と結婚し、その後、第一子となる長男にも恵まれました。

しかし、それからも「ここでずっと働こう」という気持ちにはなれず、私は初めての転職を決意します。

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発達障害の過去話・社会人編② 転職、そして転院

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カテゴリー:会社員時代の話

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