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発達障害の過去話・社会人編② 転職、そして転院

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新卒で就職した団体職員の仕事で本格的な鬱病になった私は、半年の休職期間と部署異動を経て、なんとか働き続けていました。
しかし、徐々に「ずっとここで働いていけるのだろうか?」という不安を感じるようになってきました。
29歳のときのことです。

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転職を決意した理由

当時の職場で嫌だったことのひとつが、お偉いさんへの根回しが大変だという点です。
どこの会社組織でも上層部への根回しは面倒なものですが、複数の会社での経験を経て今思い返しても、当時の仕事は根回しの煩雑さが群を抜いていました。
他にも色々なストレス要因はあったのですが、要は社風が合わなかったのです。

そこで自分の状況を見てみると、担当しているのは総務という、業界を問わず潰しのきく業務。
それまでちゃんと転職を検討したことはなかったのですが、20代後半という年齢もあり、私はこの時「転職するなら今しかない!」と考えました。

冷静に考えると、この当時の私は長男が産まれてから1年も経っておらず、転職するのに良いタイミングではないことは明らかだったのですが、思い込んだら止まらなくなるという性分により、私はさっそく本格的な転職活動を始めました。
自分で面接のスケジュール調整をするのは大変そうですし、企業と直接連絡を取り合うのも嫌なので、転職エージェントを利用し、紹介を受けた求人に申し込むというスタイルで転職活動を行いました。

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転職活動とその結果

表向きの転職理由としては、「公務員的な体質で仕事にスピード感がない」「毎年トップが入れ替わるので長期的な目線で仕事ができない」等、もっともらしい理由を挙げました。
事務職ということもあって求人自体少ないうえ、転職市場では公務員や団体職員は人気が低く、なかなか書類も通過しない状況でしたが、リクルートエージェント経由で、女性向け日用品の製造メーカーから内定を得ることができました。
(なお、このとき私は鬱病のことは一切伏せ、転職エージェントにも一言も伝えていません。)

で、実はこの転職で私の年収は上がるどころか下がってしまいました。
ただ、他に内定が出るとも思えなかったですし、当時の私には「事業会社で経験を積めば、数年後にもっと大きい会社へのステップアップが望めるかもしれない」という考えもあり、提示された条件で入社しました。
(この目論見は数年後に一応成功することになります。)

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鬱病からは逃げられなかった

自分にとって2社目となるこの会社は、取り扱う商品が女性向けということもあって社員の女性率が高く、前職とは全く違う雰囲気でした。
ですが、総務担当としての仕事内容は自社ビル関係の管理業務などが中心で、対人業務が苦手な自分でもしばらくはストレスなく働くことができました。
また、気の合う同年代の社員がおり、「飲みに誘われるのも悪くないもんだな」と思えるようになりました。

しかし、その後30代になると、徐々に責任ある仕事が振られるようになります。
仕事自体はなんとかこなすことができても、業務内容に責任が伴うほど、それに関わる社内外の関係者の人数も増えてきます。
結局、日本でサラリーマンとして働く以上、対人調整的な仕事から逃れることはできなかったのです。

さらに、法学部卒という学歴があだになり、法律科目の成績は散々だったにもかかわらず、全く未経験だった法務業務も担当することになりました。
こちらも仕事はなんとか回せたものの、社内の営業担当者に「先方から提示されたこの契約書には問題があります、ここを修正してもらってください」と伝えたり、企画担当者に「この商品名は他社の商標と類似しているので別の案を出してください」と依頼したり、という部分で精神がガリガリ削られました。

これらのことがストレスになり、会社を休むほどではなかったものの、またしてもメンタルの調子を崩してしまった私は、再び心療内科を受診することにしました。
しかし、転職により通勤経路も変わっていたため、以前通院していたM医院には通いにくい。
そこで、自宅の近くにあるGクリニックという病院に行くことにしました。

ハズレの心療内科

ところが、(また続きの記事でも登場しますが)このGクリニックへの通院が失敗でした。
初診の予約の電話の時点で「当院はカウンセリングはありません、あくまで投薬治療です」と明言され、実際に「薬を出して終わり」というスタイルで、調べてみると評判も良くなかったのです。
とはいえ、他に行きやすい病院もなく、症状が落ち着くまで3ヶ月ほど通院し、薬を飲んでいました。

私はこの後、第二子となる次男が生まれ、「前までの仕事内容なら安月給で我慢できたけど、こんな重い仕事やらされるならこの給料じゃやってられないな」という不満を強く感じるようになります。
そしてまたしても転職を決断するのですが、そこで私は、自分の人生が失敗続きであることを痛感するはめになります。

続きはこちら↓

発達障害の過去話・社会人編③ 2度目の転職、失敗。
最初の転職を経て入社した2社目の会社で様々な業務を任せられるようになった私は、次男が産まれたこともあり、求められる仕事のレベルに対する給料の安さが気になり始めました。 そこで、「初めての転職では妥協したが、今の職歴ならもっと条件のよい会社に...

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カテゴリー:会社員時代の話

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