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平和を脅かす非日常。クリスマスも正月も自分の誕生日も大嫌い

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もうすっかり年末、あっという間にクリスマスとお正月が近づいてきました。
私の2人の息子は、広汎性発達障害グレーゾーンの5歳長男、2歳次男の2人とも楽しみにしているようです。
しかし私は、覚えている限り5歳の時点でクリスマスもお正月も、自分の誕生日さえも大嫌いでした。

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「非日常が苦手」というあるある

私にはネット上での交流含め、発達障害を抱える知人が何人かいます。
そんな仲間内でやりとりしていると、よく話題になる「発達障害あるある」のようなものがいくつかあります。
そのひとつが、「いつもと違う状況に置かれるとものすごく緊張する」ということです。

例として分かりやすいのは、学校行事でしょうか。
運動会や文化祭、修学旅行など。
「その行事自体が嫌なわけでは決してなくても、慣れた「日常」とはまったく違う状況に身をおくと緊張してしまい、お腹が痛くなってしまう」というのは発達障害に関係なく経験がある人も多いと思いますが、環境の変化に敏感な発達障害児にとってはかなりの一大事です。

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自宅での非日常

そして、私にとって学校行事よりも苦手だったのが、「安全なはずの自宅に侵入してくる非日常」でした。
具体的に言うと、いつも両親と兄弟しかいない食卓に、近所に住む祖父母や、ふだん交流のない曾祖母がやってくる、誕生日やクリスマスといったイベントです。
プレゼントが貰えるのはもちろん嬉しいですが、私は「家にお客さんが来る」ということ自体が大の苦手で、それは親戚であっても同じで、誕生日やクリスマスのたびに緊張でお腹を壊し、トイレにこもっていました。

また、私が誕生日が嫌いだった理由は他にもあります。
大好物のチーズケーキではなく、好きでもないイチゴのショートケーキを買い与えられることです。
私は誕生日のたびに母親に「大きいチーズケーキがいい!ろうそくはいらない!」と主張していたのですが、「せっかくの誕生日なんだから」といつもイチゴのケーキを食べる羽目になりました。
親になった今なら母の行動を理解できなくもないのですが、それでも「どうせ自分が欲しいものは貰えないんだ」という悲しい気持ちは未だに忘れられません。

そして、いつものご飯が食べられないお正月も大嫌いな行事の一つです。
私の実家は、きっちりしたおせち料理を作る家だったのですが、私にとっておせちは昆布巻、田作り、数の子など苦手な舌触りの料理のオンパレードで、非日常感も手伝ってお正月というのは憂鬱な期間でしかありませんでした。
高校生ぐらいになると、お節を避けるために「友人と遊びに行く」と嘘をついて牛丼を食べに行っていました。

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実家を出て得られた恩恵

こんなだったので、大学生になって一人暮らしを始めてから初めての誕生日はとても幸せでした。
「誕生日に大好きなチーズケーキを食べられる」というだけで実家を離れたかいがあったとさえ思ったことを覚えています。
そして、結婚した今では妻は私の誕生日にホールのチーズケーキを買ってくれるので、現在では自分の誕生日が楽しみなものになりました。

私のようなタイプの発達障害者は多くはないかもしれませんが、「自分もそうだった」と賛同してくれる知人は何人か存在します。
発達障害を抱える子供にとっては、毎日が周囲との適応という闘いであるうえ、「本当はこうしてほしい」と希望を伝えるのも一苦労です。
せめて行事ぐらいは楽しく過ごせるよう、なるべく本人の希望をかなえてあげてほしいと思います。

コメント

  1. 匿名 より:

    体は生物的本能で非日常を求めてるけど頭がそれをこの上なく苦痛に感じてる

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